世界を牽引するUXリーダーの実像:グレッグ・ペトロフ氏(元 GE・CXO、現 Google・常務取締役)へのインタビュー

篠原 稔和
2016年12月27日

2016年5月のUX戦略フォーラム(ソシオメディア主催)では、UXにおける「リーダーシップ」をテーマに掲げ、米GEのCXO(エクスペリエンス担当役員、2016年5月時点)であるグレッグ・ペトロフ(Greg Petroff)氏を招聘しました。その後、本年12月になって、ペトロフ氏から「米 Google 社の Managing Director(常務取締役)に就任した」といった突然の知らせが飛び込んできたのです。
そこで、ペトロフ氏から届いた日本の皆さんに向けたメッセージをご紹介するとともに、本年5月の来日時にうかがったペトロフ氏のこれまでの経歴や活動の数々についてのインタビューの内容をご紹介します。

ペトロフ氏からのメッセージ(2016年12月)

「皆さん、こんにちは。前回皆さんと東京でお会いしてから、私はGEを離れて Google へ転職することにしました。GEや、産業界を優れたエクスペリエンスでつなげようというGEのミッションへの思いが変わった、ということではありません。私は今も、GE、そしてそこで行われている努力と素晴らしい仕事を信じています。私が Google へ移るのは、人として成長する機会、そして Google の技術力を活かしながら良いデザインを通じてビジネスに貢献するという素敵な機会を与えられたからです。」

“Hi everyone, since I last saw everyone in Tokyo I have made the decision to leave GE to join Google. It is not a reflection of GE or GE’s mission to connect the industrial world with great experience. I still believe in GE and its efforts and the great work they are doing. I am moving to Google because they are giving me an opportunity to grow as an individual and because there is a fantastic opportunity to help business take advantage of google’s technical capabilities through good design.”

ペトロフ氏へのインタビュー(実施日:2016年5月25日)

目次

建築専攻の学生からスタートアップ企業へ

– まずは学生時代の頃のお話からうかがいたいのですが。学生時代は建築を専攻されたんですよね。

ペトロフ氏:そうです。建築分野で2種類の学位をもっていて、キャリアの始まりは建築についての取り組みからでした。特に、建築業界の中でコンピューターを使う最初の世代にあたり、当時は「ストラテジックデザイン」と呼ばれていました。デザインツールをデベロッパーとのコミュニケーションに使う、ということだったのです。
そして、建築に関するプロジェクトに数多く取り組んだ後、そこでの価値とは一体なんだろうか、ということを疑問に思い始めたのです。

– 何か転機があったのですか?

ペトロフ氏:はい。その頃、UCLAで建築家としてコンピューターデザインのクラスも教えていたのですが、生徒のひとりから「一緒にビジネスをしませんか?」という話をもちかけられ、「デザイン・ビジュアライジング・パートナーズ」といった活動に取り組み始めたのです。

– 「デザイン・ビジュアライジング・パートナーズ」とは?

ペトロフ氏:それは、他の建築家が描いたものを3Dにビジュアライズする、といった仕事です。1990年代後半のことでした。ロサンジェルスにいたので、そこには皆さんもご存知のハリウッドがあって、映画の中の3Dを手伝う仕事なども行うようになっていたのです。そのうち、私たちはかなり賢くやっていける(笑)、という自負の下にお金をたくみに集め始めました。そして、当時の時代の流れにも乗って、テクノロジーの会社にもいろいろな話をするようになり、そこでイスラエルのスタートアップ企業と出会ったのです。

– 会社を大きくしたのですか?

ペトロフ氏:いえ、彼らがお金は出さないけど、買ってあげると言ってきてくれて、私達の会社は買われたのです。その会社は「バーチャルセット」を生業にしていました。当時は、日本のテレビでもよく使われていた技術を開発している会社だったんですよ。その会社はその後合併して「Vizrt」という会社になりました。その会社がニューヨークに引っ越し、私達もロサンジェルスからニューヨークへ引っ越すことになりました。その後、ドットコムバブルがはじけて、仕事を失うことも経験しました。

– その後はどんな仕事をされたのですか?

ペトロフ氏:その後、NYSC(ニューヨーク証券取引所)のIT部門で、トレーディングプラットフォームの開発やデザインに携わることになったのです。トレーディングのシステムのデザインといっても、やはり建築家としての血が流れていて、「美しくしなければいけない」と思っていました。そして、UX(ユーザーエクスペリエンス)に配慮することなどが一切話されていない現状に気付いたのです。

– そこで、UXということを意識されたのですね。

ペトロフ氏:はい、そうなんです。そこで、仕事で意識するだけではなく、UXに関するコミュニティを探しあてて、それをきっかけに Parsons School of Design(パーソンズ美術大学)で非常勤講師として「デザインとテクノロジー」に関するプログラムを教えることになりました。その中で、データビジュアライゼーションや情報システムのデザインに関するスキルに取り組んでいったのです。

– UXに関するコミュニティ活動へのコミットもこの頃からですか?

ペトロフ氏:IxDA(Interaction Design Association)のニューヨーク支部を創設し、ボードメンバーの1人になりました。そこでは5年間、コミュニティ活動に従事しました。一方で、仕事の方はNYSCを離れ、Modem Media というインターネットデザインの会社に移っていました。そこは、インターネットデザイン企業の先駆けの1社で、IA(情報アーキテクト)兼 Experience Lead として働いていました。

– IA(Information Architecture)に対する関心というのは、どういった位置付けだったのでしょうか?

ペトロフ氏:実はその頃、人間の行動についてとても関心を持つようになっていました。いわば、建築は Form(形式)にこだわるものだが、IAは Activity(行動)にこだわるもの、という見解です。それで、自分はこの Form と Activity、Architecture と IA(Information Architecture)を繋げる役割を担いたい、と考えていました。

SAPでの経験

ペトロフ氏:そんな時に、SAPから声がかかったのです。2006年のことでした。そして、SAPに入ることに決め、ニューヨークからパロアルトに引っ越しました。もともと、カリフォルニア出身だったので、故郷に戻ることになったわけです。

– SAPでのお仕事はどんなものでしたか?

ペトロフ氏:そこでの経験はとてもエキサイティングで、おもしろいものでした。まずは「デザインシンキング(デザイン思考)」です。その考え方と実践を行っていくことと、UXのツールなどを多く見つけだしてきて、自分たちの会社が顧客との接点を失っているといった気づきから、社内の改革に乗り出すことになりました。そして、SAP版のIDEOを社内に創る、というプロジェクトが始まります。その際、社長直下のVPに就任し、数々のスタープレーヤー達と一緒に働くことができました。とても素晴らしい経験でした。

– そのSAP版IDEOのプロジェクトでは、具体的にどんなことをしたのですか?

ペトロフ氏:SAP社内の各種組織やチームに、デザインシンキングのトレーニングをしたり、デザインシンキングの原則を教えていくといったものです。具体的には、どのようにリサーチを進めるのか、インタビューをどのように行って顧客の声を吸い上げていくのか、プロトタイプはどのようにして創るのか、といったことを行っていました。そして、SAPの Vice President となり、「APPHAUSE」というプロジェクトを開始します。

– APPHAUSEとは?

ペトロフ氏:APPHAUSE の「HAUSE」は「BAUHAUSE(※注:1919年にドイツで設立された美術と建築に関する総合的な教育を行った学校)」からきています。APPHAUSE は、スタートアップ企業的な、コンシューマーに近い立ち位置の組織を目指して立ち上げました。今ではSAPの中に6つの APPHAUSE があります。ここでやりたかったことは、90日でアプリケーションを作る、ということでした。その頃の開発期間は18ヶ月が平均だったんですね。なので、社内の常識をたくさん崩していくことを起こす場でもあったわけです。

– 実際の成果はどうだったのですか?

ペトロフ氏:シンプルなアプリを高速で開発するようになり、顧客の世界と企業の世界をつなぐことに貢献するようになっていきました。実際に、取り組んだ結果、93日間でできた成果があります。たしか、未だに同社の最短記録だと聞いています。
そのアプリは若い親向けで、子供用のおもちゃやベビーカーなどがリコールに入ってないかどうかチェックできる、といったものです。もちろん、子供業界にもいろんな会社があるのですが、それをSAPが提供していたのです。これは事業的にも大成功を収めました。

GE入社の決心

– さて、そこでGEでのお話にうつっていきたいのですが。そんなSAPでの経験の最中に、GEから声がかかったんですよね。

ペトロフ氏:5年前(2011年)のことでした。

– 迷わずに決められたのですか?

ペトロフ氏:それについては、今回一緒に来日しているマーク(Marc Rettig 氏)とのやりとりがあって。実は、マークは篠原さんもよく知ってのとおり、とても穏やかで人としても落ちついているでしょ。それで「いったい、どうやったらそういうふうになれるの?」と訊いたのです。そうしたら、あるコーチングを勧められて、受けることになりました。その機会を通じて「私の中で本当の興味が何なのか」ということを探しあてることができたのです。そして、一種のマントラ(注:「文字」や「言葉」の意味で、仏に対する讃歌や祈りを表現した短い言葉などの意)のようなものを創りました。その後、毎日その言葉と向き合い、日々の意志決定がそのマントラに沿っているかどうか判断する、ということを習慣にすることができました。GEから声がかかった時も、自分のマントラと照らし合わせ、そうして、GEにジョインすることに価値がある、と確信したのです。

– そうだったのですか。もしよろしければ、そのマントラを教えてもらえないでしょうか?

ペトロフ氏:私のマントラをご紹介すると。「私はコミュニティのガイド、教師となっている。ガイドする対象は、会社でもあるし、子供でもある。」と。だからこそ、IxDAのコミュニティなどでこれまで役割を担うことができたのか、といった納得感もありました。そして、だからこそ、人の行動様式やさまざまことに興味があって。中でも世の中に生まれてくる新しいテクノロジー、しかも、未来に可能になるものではなくって、今目の前にあるテクノロジーが自分の生活の中でどのように働いていくのか、に興味があるのだ、と。その時、「BECOMINGNESS(ふさわしい姿になること)」という言葉を自分で創りました。

– そのマントラに照らし合わせると、GEはどんな位置付けになるのですか?

ペトロフ氏:GEは、既に世の中にあるものがどういうものになろうとしているかにフォーカスして事業を営んできている会社です。そこで、自分はGEの文化の中に「UXの価値」を根付かせるようにすることが仕事なんだ、と思い至って「これは受けるべきだ」と確信しました。でもその時は、ここまで大きな役割になるとは思ってもいなかったのですが(笑)。なので、GEに入ることは難しい決断ではなく、もう、すぐにでもやらねば、と思っていたのです。今振り返ると、自分が考えていた以上に、やってみたらとてつもなく大きな機会だったわけです。

– これまでのスキルや経験があってこその機会だったわけですよね?

ペトロフ氏:そのとおり。自分のスキルがあってこそではあるのだけれど、やはり、良いタイミングで、いるべき場所にいたからこそ、そういった力が与えられたとも思っています。そして、この5年間は、GEという会社の中にパワーを構築していく側の立場になっていたと思っています。そもそも、GEはエンジニアリングで知られていて、またビジネスのパワーで知られている会社でした。そこに、デザインのDNAを埋め込むのが私の役割だと確信してきました。そして、この5年間は本当に素晴らしい経験の連続でした。

– 具体的にはどのような経験だったのですか?

ペトロフ氏:まずは、小さく始めて、コアチームを作りました。最初は人を雇える予算もなく、とにかくデザインシステムを構築して、それを使っていこうと。まるで、伝道師みたいなことを自分自身の時間を使って行っていったのです。そこでは、GEの経営陣たちに、いかにデザインが大事かを説いて歩きました。

– 経営陣たちへの伝道だったのですね。

ペトロフ氏:はい。そして、ベイエリアのソフトウェアセンターが大きくなっていき、80人くらいのUXの組織を作ることになりました。その後、次第に素晴らしい人達を採用できるようになったのです。

– どうやってスタッフを集めていったのですか?

ペトロフ氏:私たちがいかにすごいか、という伝説が広がっていって、その伝説に引き寄せられるようにして、採用ができるようになっていきました。ひとり採用できると、「あぁ、あの人がいるんだ」という噂が拡がって、素晴らしい人がどんどん集まるようになったのです。なので、戦略的に有名な人を採用する、というのはやはり良い策でしたね。

GEでのUXリーダーの役割

– 今、どのようなことを考えて役割を担っておられるのですか?

ペトロフ氏:マントラに話を戻すと、自分の役割は成功の状態を整えることにあるんだ、と。デザイナーが成功するような環境を整えることが、私のやるべきデザインの営みなんだ、と。そして、そのことがすごく成功しているという実感があります。既に、デザインという言葉なしで始まるようなプロジェクトはGEにはないくらいです。ブランドエクスペリエンスとして消費者が気づくくらいのものをGEが作らなければならない、とみんなが考えています。エンジニアのコミュニティもできてきました。GEでの成果に関しては、もう本当にたくさんのトピックスに溢れています。

– UXスタッフの役割に関して。日本では『サイロ・エフェクト』といった書籍も翻訳され、いろんなコミュニティにおけるサイロをいかに切り崩すか、といった役割に注目が集まっています。UXスタッフの役割として、こういったサイロを突き破る役割もあるのではないか、と思うのですが。グレッグは、もし目の前にAサイロとBサイロがあったらどうしますか?

ペトロフ氏:すごく重要な観点を指摘してくれました。GEでもそういったことがたくさんありました。そのような中では、「コ・クリエーション(共創)」がとても大事になってきます。でも、すべての人がデザイナーである必要はないんです。デザインシンキングは大事だけれど、デザイナーじゃないとできないことではありません。

– そうすると、デザイナーは何をすべきでしょうか?

ペトロフ氏:デザイナーはテクノロジーを学ばないといけないし、ビジネスのコンテクストで物事をどう捉えるかをよく考えるのも大事です。特に、デザイナー出身の人たちはビジネス用語で語ることをしない傾向があります。でも、それができないと強くはなれないのです。私達のチームでやることは、まずはワークショップです。プロジェクトの初期段階では、異なるサイロの人たちを集めてきて、デザイナーがファシリテーターを務めるのですが、このスキルは必ずしもデザイナーが得意としているスキルではありません。本人たちも結構フラストレーションが溜まっています。

– 日本でもデザイナーがファシリテーションする場面で躊躇することがよくあります。

ペトロフ氏:それはよくわかります。でも、ここは乗り越えるべき部分であって。彼らが実際にどのような経験をして、どうやったら一緒になってできるようになるのか、ということを考える。この「どうやって協業できるのかを考えること」が突破口になっていくのです。
2008年にアラン・クーパーが話していたのですが、ソフトウェアエンジニアは美しいコードということに情熱を注いでいる。けれども、要件が変わり続けてしまうから、完成した美しいコードなんて書くことはできない。そこに対してはフラストレーションになってしまう。その状況の中で、デザイナーが具体的なプロトタイプを作り、それに合意できれば、エンジニアは愛する美しいコードを作ることができる可能性が開けます。双方が互いの世界に注意を払いつつ、自分が大事にしているものを大事なものとして尊重できる、といった世界観をもつことができようになるわけです。
デザイナーとして完璧なものを創るのではなく、たとえば、ホームランではなく一塁に出られるようなヒットを打つ、という考え方も必要です。2回目で二塁、三塁に進める、といったアプローチが求められるのです。すなわち、辛抱強さも必要で、それを新しく身につけないといけないのだと。GEはこの面ではとてもうまくいっています。エンジニアも自分の仕事を愛せるようになってきていて、みんな良いプロダクトにはコミットしたいという想いが共通するようになってきた。この背景には、iPhone の登場によって消費者の生活のクオリティがあがるようになったことがあります。誰でもが自分の仕事を通じて、こういった体験を作っていくことが必要なんだ、という認識が生まれたのでしょう。

– GEでのさまざまなアクティビティは本当にうまくいっていると感じていて、UX成熟度のベストプラクティスのように見ています。そこには、いくつかの成功ポイントを見ることができるのですが、まずはグレッグの存在そのもの。「UXリーダー」としての役割について、ご自身を振り返って何かあるでしょうか?

ペトロフ氏:まずは、GEの文化と自分自身のパーソナリティが合っていたのだ、と感じています。私の世界に対する解釈がGEのそれととても似ていました。それは、私もGEも楽観的な考え方をするスタイルや文化であって、将来がきっとよくなると心底から信じているのです。自分たちが大きな課題に取り組んでいくことで、社会課題は解決されると堅く信じている。毎日が面白くって、ワクワクしている。
それと、自身を振り返ると、ストーリーを伝えるということが好きな点があります。そして、UXというコンテクストでのストーリーの語り手をGEは必要としていたのです。UXのコミュニティの一員としてどういうストーリーを世の中に語っていくか。そもそも、ビジネスの世界で活躍している人たちに対してUXを語るということを、これまではあまりやってきていなかったのではないか、と。「ストーリーテラー」という役割は、UXリーダーとしてとても重要な役割だと確信しています。

– なるほど。その他には、どのような役割や条件がありますか?

ペトロフ氏:自分より賢い人達を自分の周りに囲うということも重要ですね。そして、彼らが成果を出すために、道にある障害物を取り除くようなことをかなりの時間を費やしてやってきているようにも思います。
それから、自分が何者であるか、をわかっていることも重要。仕事に支配されてしまって自身を変えられてしまうようなことがなく、自分で自分をコントロールできることも。自分は何が得意であるか、ということもわかっていること。いずれGEに必要とされなくなる時が来るかもしれないけれど、それはそれでいいという気持ちを持つこと。今はGEの求めるものと私が提供できるものとが一致しているのだ、と思うようにしています。

– UXスタッフへのリーダーシップの展開方法について何かありますか?

ペトロフ氏:同僚たちにどんどんエンパワー(権限委譲)していき、実務的なところは一切を任せていくようにしています。

– 具体的なプロダクトやサービスに対するUXの役割は?

ペトロフ氏: GEのテクノロジーの中核として「Predix(注:産業用のOS)」があるのですが、そのエクスペリエンスをキュレーションする役割があります。ソフトウェアプラットフォームというものは一種の宗教みたいなものだと考えていて、これまで宗教的にいろいろと核になる要素を作ってきました。そして、それは広がっていかねばならないものなのです。これまでは、いってみれば「信念」や「儀式」を作ってきたのだ、と。ここからは戦略の段階であって、GEの Predix ブランドの作りこみであったり、ストーリーテリングをどのように作っていくか、プラットフォームがゴールとするものは何なのか、などがあります。
私は、こうしたすべてを任せてもらっていることに対して、会社に本当に感謝しています。100%自分がやろうとしていることを会社サイドがすべて理解しているか、というとそうでもない気もするのですが(笑)、そして、チームメンバーもすべてを理解してはいないかも知れないのですが(笑)、そんな中でも任せてもらっていること自体がありがたいです。

GEのUX組織体制

– 昨年の夏、UX組織が100名を超える、と聞いていたのですが、今回の講演資料(2016年5月27日)では80名とありました。100名以下になったのですか?

ペトロフ氏:GEの中での組織上の自然淘汰でこうなってきました。UXを社内で展開する際に、GEデジタルなどの違う事業のメンバー達も集まって、コアチームとしては80名くらい。ただし、UXに携わっている人数そのものは100名以上になっていて、他の事業の中にそれぞれUXを実践している人たちが育ってきています。むしろ推進組織の人数が減ったことは進化した形だと捉えています。今、GEデジタルの中に新しいオフィスを作っていて、その中にデザインチームがあり、直接プロジェクトのところに出向いていっています。

– 「CoE(Center of Excellence)」という組織形態を採用していると思うのですが、その組織形態にUXの専門性がうまく重なったのではないですか?

ペトロフ氏:今はGEデジタル内にある専門組織と、各事業ユニットの係とがいろんなところにあるのでCoEのように機能しているのですが、GE組織は更に成熟してきたのでCoEの形態はいらないと思います。ただし、ゆるやかに繋がるコミュニティ形態は必要だと考えています。また、リーダーシッププログラムを作って若い人を雇い入れ、2年間はGE内でトレーニングをし、その後、上海やパリ、シンシナティ等に出向き、2年で学んだことを事業に伝播していく役割を担う流れがあります。そもそものGEの仕組みに、より若い人に絞ったプログラムというものがあって、財務・エンジニアリングなどいろいろな職種のリーダーシッププログラムが基盤になっています。

– GEの企業文化そのものに負うところも大きいのですね。

ペトロフ氏: そうですね。若手以外のトレーニングもたくさんあります。GEの考え方は、おそらく日本の新卒採用・終身雇用の文化に似ていると思います。GEも、リーダーを若い頃から育てていく、といった企業文化が底流にあります。
私の個人的な願いとしては、GEはUXのコンテクスト以外のいろいろな経験ができる会社なので、UXの人たち、すなわち、デザインのメンタリティを持った人たちが、さまざまな経験をへて、もっともっと経営陣の中に入るようになればいいなと。

– UXを普及させていくためのツールや手段はどのような形になっているのですか?

ペトロフ氏: UXが使われるという状況を並列的に捉えたブランドアセットとしてのデザインシステムがあることが特徴です。たとえば、Predix の上に作られたデザインのプロダクト群などがあります。そこにはフレームワークとガイダンスとの2つがあって、この2つがあれば自由に形を変えて展開していくことができるようになります。デザイン言語やUXツールとして使えるものを準備してあるのです。これはかなり意識的に作ってきました。そもそもがエンジニア中心の世界なので、エンジニアはどんどん採用して入社してきます。でも、デザイナーはあまり多く採用していけず、でも本当はデザイナーはいっぱい必要なんだけど(笑)、十分な数を雇うことができない、と。そうであれば、雇ったエンジニアたちが、どうすれば自らが自動的にデザインや基本的なUXのスキルを身につけられるか、ということを考えました。UXを考えるということが、すぐにエキスパートに意見を訊こう、といったことになりがちですが、「組織としてUXを持っている会社にしよう」としたわけなのです。そして、UXのスキルは社員全員が持つべきスキルである、とも考えています。

– 資格試験の制度などはあるのですか?

ペトロフ氏: 資格制度とかは信じていないんです(笑)。みんな生活している中で良い経験をすれば嬉しいし、逆に嫌な経験もしているわけだし。UXという言葉が仮になくても、みんな必ず経験をしているはずですよね。そのことから、基本的なところは教えることができます。そうすれば、サイロを壊すことができるようになり、あらゆる人がUXに取り組めるようになります。そして、本当に複雑なところはエキスパートに訊けばよいのです。多くの会社は統治するという発想でUXを実践しようとしているようですが、私たちは自由にしよう、と言っています。そうすると、醜いソフトウェアができることもあるのですが、ほとんどの場合は、そのような状態を許容することによってかえってデザインを意識するようになるのです。そして、必要な時には知識を持っている人に助けを求めるようになるわけで、その意味では、今、UXをソリューションのひとつとして捉える新たな文化ができつつあるようにも感じています。

– 逆に心配な点はありますか?

ペトロフ氏: 自分たちのUXコミュニティの絆が強すぎて、このコミュニティとGEとの間にサイロができてしまう可能性を危惧しています。UXのコミュニティは楽しいし、みんな入りたいと思っています。でも、UXコミュニティとそれ以外、のような線が引かれてしまう。人をどんどん招き入れるようにして、私たち(UXコミュニティサイド)から壁を作らないように意識することが大切です。たとえば、シリコンバレーの文化でいうと「バランスチーム(Balanced Team)」ということがよく言われます。エンジニアとエクスペリエンス、ビジネスとエクスペリエンス。そういったバランスの良いチームがコラボレーションして良いものを作っていくのだ、と。

– バランスチームができた上で、成功に至るためのポイントは何ですか?

ペトロフ氏: そこで成功しようと思うと、いろんな条件が必要になってきます。まずは、やはりそのチームに対して良い経営陣がいること。こういった活動をやってみようと思っている経営陣を見つけだすことが重要ですね。もしくは、グループ自体が問題を抱えていることに気づいていて、「なんでもやります・困ってます」というチームを見つけて、「何をしてもいい」という人たちと「すごくそれをやってみたい」という人たちの2種類のグループにフォーカスし成功に導いていくのです。また、同志になってくれるような人を見極めていく、ということには時間をかけて取り組むべきですね。

GEのエクスペリエンス環境

– GEのデザインセンターについて。「フューチャーセンター」といったシリコンバレーのメカニズムを人工的に作ったヨーロッパ発の場のアプローチがあると思うのですが、そのような場をいわば逆輸入的にシリコンバレーに作っているかのような点が興味深いです。そういった場作りの背景には、どのような考えがあるのですか?

ペトロフ氏: 日本の企業にも「ブリーフィングセンター(注:IT基盤で作られたデモンストレーションを行うような施設)」のような考え方で、コラボレーションするためのスペースがあると思いますが、それにはなんだか博物館のような印象をもってしまっています。これは実際のところ、シリコンバレーにもよくあるスタイルです。
でも、GEのデザインセンターを作った時はそのようにはせずに、「新たに可能性が生まれるような環境」を作りたかった。いわば、コンシェルジュ的な役割を果たせるような場所にしたかったんです。成功するためにはここにくればすべてが解決します、といった場というか。短期で何かを作りたい時にいつでも利用できる、何か描いて欲しいとなるとすぐにアウトプットが出てくるとか。これがそもそもの構想だったのですが、実際に場として実現してみたところ、会社の考え方がかなり変わりました。今、パリや上海でも作ることになっていて、サンフランシスコのものと同じスタイルで拡げていく予定です。

– 具体的にはどのようなコンセプトがあるのですか?

ペトロフ氏: とにかく、人々がエンゲージしている、つながっていると思える、実感できるような場所であること。そこにはZENのアプローチを入れていて、この考え方は「マインドフルネス(Mindfulness)」と言われています。携帯・スマホを脇に置いて、会話や対話に集中する。電話しなければならない場合は部屋を出てもらう。部屋にいる限りはそのトピックスに集中してもらうのです。他のことを考えたりしてもいいのですが、その場合はいったん部屋を出てもらっています。現代人は、集中しようとしてもいろいろ中断されることの多い環境に生きているわけです。最初は居心地が悪く感じるかも知れませんが、短い時間で濃いディスカッションができるようになり、問題を解決することが組み立てられるようになる。まるでオーケストレーションするような場所なのです。
その場を使うようになり、人々の能力の方も向上してきています。毎回完璧にできるわけではないのですが、いろいろな活動が起こってくると、なんだかその場から成功しているような感じが漲ってくる。昨年夏に篠原さんが訪問した時には「静かな場所だな」と感じたかも知れないのですが、7つあるそれぞれの部屋がいっぱいになった時などは、人間のエネルギーだけでエンパワーされ、ワクワクしてきます。いろいろな会話や対話が生まれている瞬間こそが、最も成功するパターンの時だと確信しています。

原点からのヒント:デザイナーのアプローチ

– 最後に、グレッグの原点である「建築」と「UX」という観点からうかがわせてください。建築の分野でも、建築プロジェクトの初期にユーザーインタビューを行ったり、ユーザーの行動を観察したりなど、ユーザーを起点に置く考え方が従来からあると思うのですが、建築を学ばれていた頃からUXということを意識していたのですか?

ペトロフ氏: それは、もうYesです。建築家という職業は、そもそも人類が2000年来取り組んできた分野である、とも言えます。建物を建築するということには、建築家の数だけ異なるアプローチやスタイルがいろいろとあって、ストラクチャーやプロセスもしっかりとしたものがあります。ただし、初期のUXの領域にはこういった確固としたアプローチやスタイル、ストラクチャーやプロセスがない、ということに気付いていました。
そして、今では、ストーリーに耳を傾け、それを持ち帰って統合し、インサイトに展開する、といった流れが確立してきました。その中でアクションにつながるインサイトへと昇華していく。ユーザーの声からアイデアを創る、といった確固としたプロセスが成立し始めています。

– 建築の分野からのヒントや示唆などを教えてもらえますか?

ペトロフ氏: 建築の学校に行っていた頃、教授が「失敗がいろいろなことを教えてくれる」ということを言っていました。たとえば、鉛筆で書くのとインクで書くのとは大きく違います。インクは消せないけれど、鉛筆は消すことができる。そこで大事なのは書いては消し、書いては消す。その書いて消すことから生まれる「対話」ということがとても大事なんです。とにかくアクションすることが意味を持たらすのだ、と。デザイナーというのは、やはりそういったことが元来、得意なんだと思います。
今や、世の中にはいろいろなツールがあるけれど、「考えるために創る」といった営みそのものは変わりません。そういったことから今の時代はデザイナーでいることが、とてもおもしろい時代ですよね。エンジニアの方は、クラウド、アジャイル、プラットフォームなどいろいろありすぎて、どうすればいいかわからない、ってなっているかも知れないけれど、今の時代、ソフトウェアを作ることがとても簡単になったので、「どうやって」の部分はあまり難しくなく、むしろ「何を創るか」が難しいわけです。何を創るべきかこそを考えないといけない。その意味から、エンジニアの「どうやって」のアプローチよりも、デザイナーの「何を創ろう」のアプローチこそが大事ですね。

– 「何を創ろう」のアプローチですか?

ペトロフ氏: このアプローチを拡げていくことこそが私の仕事である、と言えます。これは私の奥さんが作った言葉なんですが、私は「Possiblitalian(可能性を追求する人)」だ、と。”What if?(もしそうだったら)” 、”What if we do that?(もしそうしたらどうなる)” をどんどん追求していくのです。これはデザイナーやアーティスト(芸術家)が日々やっていることなんですね。組み合わせてみてどうなるか、というのを常に発想していくこと。これからは、このことがとても大事だと思います。
日本には「合意の文化」があると聞いています。合意がなければ進めない、という文化だと。でも、そういった文化の中にも持ち込むことのできるスキルだと思うのです。いいアイデアはミーティングして合意する中から出てくるものではないんですね。
あっ、奥さんが自分のことを示す言葉をもうひとつ作っているのですが…「Ifnographer」(Ethnographerにかけて「もしこうだったら〜」という世界を追求している人の意)だ、と(笑)。

[注:本インタビューは2016年5月25日時点のもので、グレッグ・ペトロフ氏がGE在籍時のご発言に基づいて構成しています]