98. ユーザーイリュージョンをもたらす

User Illusion

コンピュータはその容量とスピードによって、システムの内部的な仕組みを隠しながら、バーチャルな世界観の中で対象を現し、ユーザーが作業に集中できるようにする。例えば無限に入れられるフォルダや瞬時に届けられるメールといったイリュージョンを自然に与える。

仮に、ブラシツールで線を描く処理が、鉛筆ツールで描く処理の100倍の計算量を必要としたとする。しかしそれらが 0.1 秒と 0.001 秒で済むのであれば、ユーザーはほとんどその違いを気にする必要がない。そして両者をツールパレット上で並列に扱うことで、ユーザーに「デジタルフォトを自由にレタッチできる」というイリュージョンを見せることができる。

このことは、ソフトウェアのユーザーインターフェースが持つ圧倒的な自由度につながっている。新しい世界観を構築する上で、計算処理の量にかかわらず、ユーザーにとってその世界がどうあるべきかという視点からデザインを決めることができる。

われわれは幼年期に、粘土というものが、ただ両手を突っ込むだけで、どのようにでも変形できることを発見する。コンピュータの場合、同じような発見をする人は滅多にいない。コンピュータの素材は、人間の経験からあまりにもかけ離れていて、さながらモニター画面を見ながら、ボタンと挟みを使って、放射性物質のインゴットを遠隔操作するような感がある。物理的な接触がこのように思うにならないとすれば、では、どのような情緒的接触が可能なのだろうか。

“ユーザーインターフェイス” をとおして、われわれはコンピュータの粘土にふれることができる。ユーザーインターフェイスとは人間とプログラムを媒介し、コンピュータをなんらかの目的 ─ 橋梁の設計だろうが原稿の執筆だろうが、どんな目的でもよい ─ を達成する道具にするソフトウェアをいう。かつてユーザーインターフェイスは、システム設計で、もっとも重要性が低い部分と見なされていたが、それがいまでは最重要の部分となった。ユーザーインターフェイスが最重要のものと見なされているのは、素人にとっても、プロにとっても、目のまえにある知覚できるものが、その人にとってのコンピュータである、という理由からだ。われわれゼロックス社パロ・アルト研究所の所員は、これを “ユーザーイリュージョン” と呼んでいた。これは、システムの動きを解釈し(そして、推測し)、次に何をすべきかを判断するために、だれもが築きあげる作り話を単純化したものである。

– Alan Kay, “Computer Software”